前回の記事で妻の脳静脈血栓症の治療方針が決まったことをお伝えしました。
今回は治療のその後についてお伝えしたいと思います。
1. 投薬による良好な経過
血栓ができた原因が不明のまま血液をサラサラにする薬の投与により治療を続けていた妻ですが、経過は良好でした。
1-1. 点滴から飲み薬に変えて頭痛も軽くなる
血液濃度も目標とする数値に順調に推移していたことから、点滴から飲み薬に変えてもらえました。
妻の様子も辛そうな感じもなく頭痛も軽くなったようです。
ただ、やっぱり疲れるようで暇つぶしに持って行った雑誌などはあまり読む気が起きないようです。
治療といっても、薬を飲むのと定期的な検査をするだけです。
1-2. ゆっくりと流れる入院の時間
聞いていた深刻な状況の割には、治療はとても地味な感じでした。
血液検査はこまめにしていましたが、それは血液のサラサラ度を測っているだけで、血栓がどうなっているかはわかりませんので、主に問診によって状況を確認しているわけです。
先生は問診の結果から状況の好転を感じて、またMRIによる血管の状況確認のための検査をするとおっしゃいました。
大分よくなってはいるものの、まだ開通とは言い難い状況でした。
2. セカンドオピニオンの検討
私の会社の社長も気にかけてくれていて、ときどき妻の状況を報告していました。
そんなある日、原因不明であることなどを心配してくれて、セカンドオピニオンを求めてはどうかと勧めてくれました。
「いろいろと知り合いの方などを通じて紹介できる医師もいるから、その気になったらいつでも言ってくれ」
と、言って頂きました。
2-1. 気になっていたセカンドオピニオン
私も原因がなかなか見いだせない状況になっていた時からネットなどでセカンドオピニオンに関して日本での現状などを調べていましたのでチャレンジしたいと考えていました。
丸山ちゃんを信用していないわけではありませんでしたが、とにかくできることは手を尽くしたいという気持ちも強かったのです。
特にこの病院にお世話になる前の経緯を体験しただけに、「あの時にやっていれば…」なんてことにだけにはなりたくなかったのです。
2-2. 妻に持ち掛けてみた
妻にセカンドオピニオンのことを伝えてみました。
妻は非常にそのことに消極的でした。
丸山ちゃんを全面的に信用していたこともあるし、新しい先生に診てもらうにはいろいろな検査をしなければならないことが気が重いようです。
当事者の気持ちには、家族でもなれないとは思いましたが、一時の「気が重い」程度の理由で『手遅れ』にでもなったら…と思いました。
2-3. 悩み決意したセカンドオピニオンの見送り
正直なところ、私としては無理やりにでも受診させたいと思いました。
でも脳の病気なので、私が無理に勧めてそのことが余計なストレスを発生させることは避けたいところです。
せっかく順調な経過を悪くすることもするわけにもいかず、何度か説得を試みたもの首を縦には振ってはくれず、仕方なく諦めました。
この時は本当に大声で叱ってでもという気持ちもありました。
喧嘩をしてでもって気も起きました。
でも、堪えました。
とても悩みましたが…。
3. 娘よ、お前まで…
さて、休みの日には、子どもたちを連れて見舞いに行くのが日課でした。
相変わらず娘は妻の食べ残しを食べるのをすごく楽しみしていました。
そんな娘が…。
3-1. 娘の腹痛
ある夜、私が帰ると、娘が「おなかが痛いから」とソファで横になっていました。
時々おなかが痛いということがあったりしますが、大抵はトイレに行ったり横になっていれば落ち着きます。
ところがその日は様子が違っていました。
なかなか痛みが収まらないようです。
夜でしたが緊急を受け付けてくれる小児科の病院に連れて行くことにしました。
3-2. 盲腸って…
すると…
病院では、
「盲腸の疑いがあります。現状では確定することはできないので、明朝、受診して欲しい。」
ま、マジっすか? …
妻だけでなく、娘までが…。
3-3. 妻の病院で娘も診察することに
『いくらなんでも入院することにでもなったら、違う病院を見舞いの「はしご」するのは、無理だ!』
そう考え、翌日妻のいる病院に娘を連れて行くことにしました。
3-4. また入院ですか?
「手術するほどではありませんが、すぐ入院してください。」
妻と同じパターンです…。
「親子ともども、よろしくお願いします。」<(_ _)>
娘の入院手続きをした後に妻の病室に行って状況を説明しました。
3-5. ウキウキする妻
妻は何だかうれしそうです。
「後で病室に行ってみる。」
なんて言ってます。
私としても盲腸ならそんなに心配することもないだろうとは思っていましたが…。
私の両親も妻の両親も割と近いところに住んでいて、いろいろと助けてもらって何とかやりくりしてきました。
でもさすがに二人の入院者を出して、ちょっと「ふぅー」って感じでした。
3-6. 初めての入院で不安な娘のモチベーション
娘も入院が初めてでちょっと落ち着かない感じでしたが、何より盲腸なので飲まず食わずが堪えていたようです。
娘のこの状況のモチベーションは、この状況を我慢すれば、
「お母さんが食べている、あの美味しい夕食が食べられる!」
ってことでした。
本当に楽しみにしていました。
朝、入院してそのまま飲まず食わず。
看護士さんからも「夕食は出ますよ。」と言われて、ワクワクもんです。
3-7. 「飲まず食わず」のその先には?
そして、待望の夕食時間。
トレーに載せらてきたのは…
OS1という「経口補水液」1本でした。
まぁ、味のないポカリスエットみたいな飲み物です。
トレーがあるだけ、悲しさが増す感じです。
可哀そうに…とは思いましたが、ちょっと笑ってしまいました。
娘はかなりがっかりしてました。
3-8. 怪しい影が忍び寄る小児病棟
妻には娘の病室の部屋番号を伝えていたので、その後部屋に「見舞い」に行きました。
パジャマ姿で小児病棟に入っていくおばさん…。
ナースセンターのところで、よく止められなかったなぁ。
結局、娘はすぐに良くなって2泊3日のお泊りで全快となったのですが、残念ながら美味しい「あの夕食」にはありつけなかったようです。(笑)
4. 妻の回復
そんなこともあった我が家の入院騒動ですが、妻は順調に回復していきました。
投薬して安静にしている、それが治療法です。
カテーテル手術も頭蓋骨を開く手術もしていません。
それでも「チョロチョロ」と流れる毛細血管は順調に妻の頭に溜まった血液を通し続けてくれていました。
4-1. 退院判定検査
最終的に、妻の大嫌いなカテーテル検査で経過が良好なら退院してもいいということになりました。
丸山ちゃんは、「もう退院したいでしょ?」なんて笑いながら言います。
妻は、もう相部屋の入院生活にかなりストレスを感じていて、1日も早く退院したいようです。
我慢してカテーテル検査をしてくれました。
丸山ちゃんに検査結果の説明を二人で受けました。
4-2. カテーテル検査の結果は?
丸山ちゃんは、
「だいぶ、血栓が小さくなって流れがよくなっています。これなら退院、いいでしょう。」
と、言ってくれました。
「ありがとうございます!」
本当に嬉しかったです。
息子は、お風呂も寝るのも妻といつも一緒なのできっと寂しい思いをしています。
5. 退院後の生活
その後は、2週間後、1ヶ月というように通院をして検査を受け、薬をもらって帰る日々でしたが、検査のたびに少しづつ良くなりホッとしました。
薬は毎食後9種類を飲まなくてはならず、病院から帰るとコンビニの袋いっぱい詰まった薬を1日分ごとに小分けにするのが妻の日課でした。
5-1. 旅行の許可が出た!
そして、夏休みになる頃…
丸山ちゃんからは、
「もう、薬もなくても大丈夫そうですね。検査も半年後でいいでしょう。」
と言ってもらえました。
「夏休みだから、旅行、行って来たらどうですか?」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。全然心配ないですよ。」
丸山ちゃん、ナイスです。
6. 妻の入院を経験して思うこと
6-1. 長い1ヶ月
妻の入院生活はちょうど1ヶ月間でした。
記事の内容からすると短いとお思いになるかもしれません。
でも、私にとってはとても長い1ヶ月でした。
6-2. 妻の不在で困ったこと
家のことは全て、妻任せ。
意外に大変だったのが、子ども二人の学校からの手紙やらなんやらを確認して必要な準備をしたりすること。
こういったことが結構面倒だということを痛感しました。
6-3. 人の支えで助かったこと
私の両親も妻の両親も近くに住んでいるので、本当にいろいろ助けてもらえて親のありがたみを感じました。
感謝です。
会社でもいろいろ配慮してもらえて助かりました。
感謝です。
6-4. 病院の方々の対応
丸山ちゃんも看護士さんたちも良くしてくれて、何より患者が明るくなるような環境を作ってくれたのは感謝です。
私の仕事も比較的落ち着いた時期で幸運でした。
でも、やっぱり家族が入院するのは、もうこれっきりにしたいものです。
原因がわからないので再発する可能性がないわけではないですが、妻は血液がサラサラになるために今はアーモンドとトマトを良く食べています。
とてもいいそうです。
元気になって家族が一緒に過ごせること、それだけで幸せなんだと、それまで以上に感じた我が家のできごとでした。