2泊3日の検査入院の前回の記事の続きです。
1. 2泊3日検査入院、その結果は?
検査をすべて終えたあと、主治医の先生から検査結果について説明がありました。
1-1. 右心カテーテル検査の結果
- 安静時の肺動脈圧は21(前回は19)
- ペダル漕ぎのピーク時の肺動脈圧は43(前回は40)
どちらも前回より多少数値が上がっていましたが、誤差の範囲で問題ない数値ということでした。
1-2. 検査時の血中酸素濃度
そして、検査時の血中酸素濃度は93%。
90%を切ることがなかったので、良い数値とのこと。
他の検査の数値も問題ありませんでした。
2. 耳を疑うお告げが…
前回の検査に引き続き、今回の検査結果もとても良く、それに加えて普段の症状でも息切れ・胸の苦しさがなく、咳や痰もでないので…、
『酸素は完全に終わりにして大丈夫でしょう。』
と主治医の先生。
私は耳を疑いました。
『酸素量を減らせる』を通り越して、『完全に外せる』だなんて!
\(◎o◎)/!
3. 課せられた条件
ただし、1つだけ条件が…。
私は寝ている間も2ℓ/分の酸素を吸っているので、酸素を外して寝た場合の血中酸素濃度が心配されたのです。
そこで入院最後の晩、寝ている間の血中酸素濃度を測りましょうということで指にパルスオキシメーターを装着して寝ることに…。
(-_-)zzz
その一晩の間の血中酸素濃度が93%以上なら酸素を外せますが、92%以下が続くようなら酸素を続けることになりました。
4. 怒涛の朗報!溢れる主治医の先生のお告げ
それから、いま飲んでいる肺高血圧症の薬も、
『2種類とも中止して大丈夫でしょう。』
だなんて…。
\(^o^)/
ただし薬を一気に止めるのは体に悪いので、地元の病院の主治医の指示に従って1種類ずつ少しづつ減らしていき、いずれ中止できることになりました。
まさか、まさか、まさか…、
酸素も肺高血圧症の薬も卒業できるなんて全く想像していなかっただけに、心の底から嬉しくてたまりません。
\(~o~)/
まるで夢のようです。
おまけに6ヶ月ごとだった大学病院での検査入院も次回は1年後で良いということになりました。
5. 寝ている間の血中酸素濃度はどうだった?
翌朝、指先のパルスオキシメーターに気が付いて、
『そうそう、血中酸素濃度の数値どうだったんだろう?』
もう気になって気になって仕方がありません。
すると朝早くに看護師さんが来てくれて、
『とても良い数値で98%の時もあったし、ずっと93%以上ありましたよ。』
と笑顔で教えてくれました。
(^^♪
そのあと先生からは、
『数値が良かったので完全に酸素を外していいでしょう。』
と(*^^)v
6. 退院はボンベと共に…
酸素を吸わないで退院かと思いきや、私の酸素ボンベの機器は地元の病院でのレンタル品。
地元の主治医からの指示がないと中止することはできないということで酸素からの卒業はもうしばらくお預けに…。
7. 退院の誓い
酸素も肺高血圧症の薬も止められることになりました。
でもでもでも、完治したわけではないし、これ以上、症状が進まないというわけでもありません。
進行性の難病だから油断したら簡単に悪化してしまうでしょう。
主治医の先生からも、
「目標は酸素と薬を止めることだから、一度止めてみましょうということ。」
「もし1年後の検査の結果が悪ければ、酸素も薬も再開するし、肺の血管が再び狭くなっていれば、バルーンカテーテル手術も検討します。」
と言われています。
私の場合、退院後の注意事項は、
- 無理して動きすぎない
- 塩分を取りすぎない
- 太らないこと
しっかり、と言うより命がけで守らなければなりません。
5m先のトイレに行くだけでも、まるで100m走でもしてきたかのように息が苦しく、体が重く、思うように動けなかった日々。
点滴や手術の痛み、5時間安静時の辛さ、そして在宅酸素の煩わしさ…。
これらを忘れず、そして調子に乗らず
(私の場合、これが一番大事かも ^_^;)
『1年後の検査でも良い結果を出すぞっ!!』
と心に誓いました。
8. そして感謝
病状が悪化して心不全になったときは、
『2年間生存できる確率は20%』
という状態でした。
あのとき適切な治療を受けられなければ今頃は…。
その2年間が過ぎた今、家族と共に笑って暮らせている毎日が本当に有難く思います。
ここまで治してくれた先生方、看護師さんたち、病院のスタッフの方々、良い薬を開発してくれた製薬会社の方々、在宅酸素の業者の方々…。
たくさんの命の恩人の方々に、心の底から感謝しています。
そしてブログを通して心配して頂いたり、応援して頂いたりした皆様にも感謝の気持ちでいっぱいです。
『本当に本当に、ありがとうございます』
m(_ _)m