大学病院で2泊3日の検査入院した妻が帰ってこない

疑われている「難病」が『シロ』なのか『クロ』なのか判定するため、投薬しながら6ヶ月の経過観察をするという治療方針に対して、大学病院での早期の精密検査を希望し、主治医の先生に了承頂いた私たちでしたが…。

今回はその大学病院での検査についてお伝えします。

1. 血液をサラサラにして小康状態だった妻の病気

治療当初は、脳静脈血栓症の時にもお世話になった『ワーファリン』という血液をサラサラにする薬を服用し息切れが酷くなることもなく症状も落ち着いていました。

1-1. 病気進行のリスク回避で用心はしたものの楽観視していた私の見立て

医師からも息切れが酷くならない程度の適度な運動はむしろ歓迎すべきことと言われていたので、私もあまり心配していませんでした。

脳の大静脈が詰まった前回の病気では脳という最もデリケートな部分での『血管の破裂』という危険と隣り合わせな状況を大変心配しました。

でも今回の病気では血管が詰まった場所はその時ほど危険ではなく、深刻な状況ではないと捉えていました。

すぐに入院の必要もないということもあったのでそんな受け止め方でした。

1-2. 急激に息切れがひどくなる妻

大学病院での検査は主治医の先生がすぐに手配に応じてくれたものの、依頼したらすぐに入院できるわけではありません。

予約をして順番待ちの状態です。

そして、小康状態を保っていた妻の息切れが検査入院を2週間後に控えた辺りからひどくなってきました。

2. 検査入院当日の状況に愕然とする

薬の効果で一時は良くなっていた息切れが悪くなっていたのは感じていましたが、検査入院当日の妻の様子に、

「まさかここまでとは…。」

そう感じました。

2-1. 歩くことができない妻の姿

当日は車で病院に行ったのですが、駐車場から病院の待合室に行くまでに妻がこう言ったのです。

「休ませて欲しい。」

と。

たった2・3分歩くだけの距離を歩くことができないほど呼吸が辛い妻を目の当たりにして病気の進行を感じざるを得ませんでした。

2-2. 車いすで移動する妻を見て感じたこと

病院では受付を済ませた後、入院手続きをしてもらいました。

そして病室へルパーさんが付き添って案内してくれることになりましたが、その時には車いすを用意してくれました。

恐らく、とても広い病院の廊下を病室まで歩くことは既にその時の妻には無理だったでしょう。

車いすで移動する妻の姿を見て私は思いました。

「妻はもう病人なんだ…。」

耳慣れない病名のこの病気についてインターネットで調べて、極めて深刻な病気であることは知っていました。

でも息切れがひどいとは言え、「調子が悪い」程度の印象だった妻が、こんな深刻な病気ではないと考えていました。

それがこんなに短期間でこんなにも悪くなるのを目の当たりにして、

「もしかしたら地元の病院の主治医の先生の見立ての通り、妻は難病に罹ってしまったのかもしれない…。」

そう思いました。

なんだか妻の姿がとても痛々しくて見ていられない気持ちになりました。

もちろんそんな気持ちは表には出さないようにしていましたが…。

3. 2泊3日の検査入院で行った確定検査

地元の市立病院では6ヶ月の経過観察で病名の特定をしようとしていましたが、大学病院の精密検査では2泊3日の様々な検査項目により妻の病気の特定はできてしまいます。

3-1. 検査入院の詳細

その時の模様は妻の記事が詳細を記載していますので、検査について詳細を知りたい方は下記の記事をご参照下さい。

3-2. そして確定検査で「確定」した妻の病気

上の記事をお読みなるとわかりますが、いろいろな検査をしました。

妻にとっては痛みを伴う検査や点滴もありました。

そして、妻は「慢性血栓塞栓性肺高血圧症」の患者となりました

4. 2泊3日では家には帰れない

思っていたよりも病気の進行は早く、大学病院の医師からは入院して治療することを勧められそのまま本格的に入院することになりました。

2泊3日の検査入院のつもりで来たのに…。

4-1. ワーファリンだけではない治療が始まる

それまでは我が家ではおなじみの「血液サラサラ薬・ワーファリン」の投与で血流の悪化を防ぐ治療のみでした。

しかし歩行するのが困難なほどの息切れがあり、入院してすぐに追加の治療が開始されました。

まず酸素吸入を24時間することになりました。

ベッドにいる時は枕元にあるアダプターに差し込んで、歩行をするときには歩行用の酸素ボンベを携帯して、鼻からチューブを入れて酸素を吸入しています。

特有の症状である、むくみを引かせるための利尿剤の投与も始まりました。

4-2. 手術の決定がされる

2年前に患った脳静脈血栓症の治療の時はワーファリンの投与によって良くなった血流によって血栓を流すことができました。

でも今回は『血流を悪くしている原因の除去』がワーファリンだけでは難しそうです。

そのためカテーテルによる手術をすることになりました。

5. 私の静かな決意

車いすで移動する姿、カニューラと呼ばれるチューブを鼻から刺している姿、医師からの手術の提案、どれもこれも私には衝撃的すぎて受け止めきれない気持ちでした。

でも、きっとそれは妻の方がもっと大きく衝撃的だったと思います。

それでも冷静に受け止める妻の姿を見て、私は絶対に取り乱したりせず、妻以上に冷静になって感情は出さないようにしようと心に決めました。

痛々しい妻がこんなにも気丈に振舞っているのに自分だけが感傷的になってはいられない、そう思いました。

5-1. 当時の思いを綴ったブログ記事

私の当時のブログ記事では以下の様に綴っていました。

まだ治療がどうなっていくのか、手術で改善するのかどうか、まったく予想もつかない状況の中で書かれた記事です。

医師からの手術の説明では手術時に緊急を要する容体に陥り「肺気腫」を併発して亡くなった方もいるといったことも聞いていて不安もいっぱいの中で書き綴ったものです。

今読み返すと当時の記事はまとまりが無く、読みにくいものですが、私の当時の気持ちを表していると思いましたので、ここに転載することにしました。

以下は当時の記事を原文のまま一部抜粋しています。

現在は経過が良好のためいったん退院して自宅療養しておりますが、しばらくしたら手術のために再度入院することになります。

現在は自宅に酸素吸入の装置を設置してずっと酸素吸入をしている状態です。

肺高血圧の状態を緩和するための薬も服用しています。

別に寝たきりでもありませんし気分も良いようですので重病人患者といった体ではありませんが、それでも不便だろうと思います。

手術をすればきっと良くなるだろうと思いますが、とにかくできることをやっていくしかないと思っています。

病気については今後も記事にしていきたいとは考えておりますが、今回の記事では冒頭にも触れました通り、この病気の発見に息切れ、めまい、失神などの予兆を見逃さないことが大事だということをお伝えしたいと思います。

この病気のきっかけ、というか、始まりは決して『息切れ』ではありません。

『息切れ』は、始まりである『血管の詰まり』が進行した結果です。

つまり、ある程度病気が進行しないと自覚症状として現れない病気だということです。

そして、人によってはその進行速度が速いということがわかっているらしいのです。

ですから、もし普段感じないような『息切れ』を感じたら、少なくとも信頼できる医療機関での受診をお勧めします。

ここからは私の個人的な見解です。考え方は人それぞれだと思いますのでその辺も含んで読んで頂きたいのですが、私は『医師は知らない病気の診断はできない』と思っています。

そして一番怖いのが『知らない』とか、『判定不能』という理由で『処置を保留』されることだと考えています。

妻の前回の病気『脳静脈血栓症』では、かかっていた病院での予定のMRI検査日までに血管が破裂していた可能性は否定できませんでした。

本人の大きな自覚症状がないまま破裂の日を迎えていたら大きな不幸を背負っていたかもしれません。

それは別に医師の診断が悪として責めることもできません。

でも、だからといってそれを甘受できるほど私はおおらかでもありません。

やっぱり自分や家族の健康は自分たちで守らなければならないと感じています。

そして、そのためには日常感じる体からのサインを見過ごさない、感じたら躊躇なく行動に移すことだと考えています。

私は今度の手術がうまくいってくれることを心から願っていますが、私は願う事だけではなくできることはしたいと考えています。

病気は患者の精神面もとても重要な要素なので妻の気持ちや考えも尊重しなければなりません。

ですから私だけが一人で『前のめり』になることにも注意を払っていかなければなりません。

ただ、少なくとも大きな味方となれる少ない人間の一人としてやれることはやらなければと考えています。

今回の記事を書くにあたっては、アップすべきか否か、かなり迷いました。

前回の脳静脈血栓症の時はほぼ完治してからブログへの掲載をしましたが、今回は治療中の状態です。

しかもこのブログは妻も子供も時々見ています。

それでもブログで書こうと思ったのはいろいろな記事をネットで見て、この病気の早期発見をすることに意義があるということを感じたこと、そしてきっと妻も子供ももしこの記事を読んだなら妻の最大の味方が私であることをきっと感じてくれるであろうこと、そして何より自分を強く奮い立たせることができるだろうと考えたからです。

前回の記事で妻の病気を案じてくれた皆様には心より感謝とともにご報告申し上げます。

6. そして手術に向かう妻

このあと妻は人生初の手術に立ち向かうことになります。

そして私は入院中もインターネットでこの病気のことを黙々と調べていました。

いつもはいるはずの妻のいない自宅で子供たちとどう接していたか、今では全く思い出せません。

そのぐらい、この病気のことで私の頭の中はいっぱいでした。

CTEPHのことを詳しく知りたい方は以下の記事をご覧下さい

この記事はブログの引っ越しを目的に2013年8月14日に投稿した記事を元に2018年10月20日に新たに執筆した記事を転載しています。一部2013年8月14日当時の記事を抜粋して掲載しております。
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